2021-06-11 第204回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号
北朝鮮にとってやはり一番関心があるのは、アメリカがどう体制を保証してくれたり、どういう行動をしてくるかと、こういったことであると思っておりますし、もう一つ、確かに、金日成主席の時代であったりとか金正日委員長の時代から見ると中国の影響力というものは落ちているかもしれませんが、それでも、やっぱり一番経済的にも依存しているのも中国であります。
北朝鮮にとってやはり一番関心があるのは、アメリカがどう体制を保証してくれたり、どういう行動をしてくるかと、こういったことであると思っておりますし、もう一つ、確かに、金日成主席の時代であったりとか金正日委員長の時代から見ると中国の影響力というものは落ちているかもしれませんが、それでも、やっぱり一番経済的にも依存しているのも中国であります。
これまで、先々代、金日成、そして先代の金正日のいわゆる社会主義理念や先軍政治、軍事優先という思想ですね、これを、政治思想を変えて、いわゆる父親の遺産というものを削除したというような見出しでございます。独自性を模索しているんじゃないかと。
昭和二十三年になって初めて、李承晩率いる韓国が宣言をし、そして、それから一か月遅れて、金日成の北朝鮮が建国を宣言する。まだ朝鮮戦争が始まる前なんです。そのときにできた憲法であります。 そして同時に、占領国、GHQの支配下にありますから、日本の国会で決めても、マッカーサーの指令に基づいてそれは覆されたわけで、基本的に主権はなかったわけです。天皇陛下でさえ覆されるわけですから。
そこの中で、金正恩委員長をめぐる動向について、四月十一日の党政治局会議に出席した後、十二日の最高人民会議や、十五日の金日成生誕記念日に際する行事への出席は確認されず、その後、特に、こういった行事に出てこないのでということで、さまざまな報道がなされたと承知をしておりますが、五月二日の朝の北朝鮮メディアが、その前日、五月一日に金委員長が平壌郊外の肥料工場の完成式に出席したと報じているわけであります。
十五日の金日成主席の生誕日に金正恩委員長が太陽宮殿を参拝しなかったことから、金委員長の健康や身辺に注目が集まっております。これまでも、こうした報道がありますと、遠からず公開活動を行い、打ち消してきましたけれども、この二週間、写真や映像というのが出ていないという異例の事態になっている。
続けて北朝鮮の問題について聞きたいんですけれども、昨年の十二月に、金日成主席の息子である金平一駐チェコ大使が三十年ぶりに本国に呼び戻された。続けて、二十七年間にわたって駐オーストリア大使を務めてきた、同じく金日成主席の娘婿の金光燮氏も本国に呼び戻されることとなりました。
三代にわたって、金日成から金正恩に至るまで、とにかく大国を相手に回してこの国は今日まで生き延びてきたということをやはり考えれば、彼らのしたたかな交渉に対して、我が国が余りに物欲しそうな、しかし、時間はないのはわかっていますが、物欲しそうな形で、とにかく会ってくれるだけでいいんだなんということはゆめゆめなきように、ぜひともお願いをしたいというふうに思います。 もう時間がなくなります。
あの国は、親子三代、金日成の時代から今日まで、周辺の大国を上手に操りながら、経済発展であるとか国民の生活向上であるとかそういうことは犠牲にしながら、とにかく瀬戸際外交を繰り返すことによって今日まで生き延びてきた国です。 ですから、こんな突然の豹変にやはりだまされるわけにはいかない。ですから、この次の次にはまたひょっとしたら手のひらを返すかもしれない。
当時の朴正熙大統領と金日成主席、首相でしたね、まだ、の間で密使が交換されて共同声明が出されたわけですが、自主、平和、民族大団結という、こういう共同声明が出ました。そして、九月に田中首相が訪中されて日中関係が正常化したことは御承知のとおりです。
この際には、金日成国家主席直系の親族として金与正朝鮮労働党中央委員会第一副部長、これは韓国側の発表によりますれば金正恩委員長の特使ということでありますけれども、が来られまして、金正恩国務委員長の南北関係改善に向けた意欲を込めた親書を手交し、文在寅大統領と早期に会う用意があるので都合の良い時期に北朝鮮を訪問いただくことを要請するという意思を口頭で伝達したということでございます。
連絡員に聞いてみると、よく気づいてくれました、この塔は、金日成主席の生誕七十周年をお祝いするために金正日書記から贈られたものです、短期間で建設をしなければなりませんでした、あのお墓は、命綱をつけずに建設に当たった、速攻戦を戦い抜いた革命戦士たちのお墓でありますと。
金日成が出てきて、原子炉をとめました。 しかし、その後もパキスタンから濃縮ウラニウムをつくる技術を導入して核開発を続けたのでありますが、そのことが発覚したのが、テロとの戦争の真っただ中のブッシュ政権のときでありました。このときが二回目のチャンスです。
金日成が亡くなり、金正日がまだ公式の場に姿を現さない謎の指導者と呼ばれた時期でありました。私は、その際、昭和三十八年に漁船に乗って日本海で消息を絶ち、北朝鮮に連れ去られた石川県出身の寺越武志さんを追いかけ、平壌で寺越さんと対面もいたしました。しかしながら、今年で拉致されて四十年となる横田めぐみさんら多くの拉致被害者については糸口をつかむことはできませんでした。
そうしたらば、金日成が出てきて寧辺の原子炉を止めました。 日本のマスコミでは、クリントン政権は軍事行動したらば被害が大きいというシミュレーションが出たので軍事行動を中止したという解説が多いですが、それは事実ではありません。シミュレーションをして被害が大きいということが分かっていても、爆撃計画を検討を続けていました。そうしたら、北朝鮮が原子炉を止めるという譲歩をしてきたんです。
昨月ですが、故金日成主席の生誕の記念日であったり、朝鮮人民軍の創建の記念日があったり、弾道ミサイル発射の危険性といいますか緊張、非常に高まったわけでございますけれども、一方で、政府の弾道ミサイルへの対処に対するホームページ上での情報提供、そして都道府県への説明会への実施のタイミングは四月二十一日ということでした。
そして、実際に戦争が終わった直後、金日成率いるゲリラグループというのを直接的に支援したのは当時のソビエトであったと言われています。そして、このグループが実質的に現在の北朝鮮の政治体制を確立することになった。そして、なおかつ、朝鮮戦争が勃発したその引き金は、明らかにソ連の支援を受けた北朝鮮からの軍事行動によって朝鮮戦争が勃発をいたしました。
金日成首席が世界の各国の大統領や首相からいただいた象牙だとかワニの革とかいろんな細工品が、今だったらワシントン条約で全部引っかかるようなものばかり。そういう中で、私の、九五年にやったときのお土産に持っていったものがありますが、それと同時に私のガウンが飾ってあります。 本当に、そのときに私の仲間が、私は気が付かなかったんですが、ドアがすごい重いんですね、何トンもある。
四月十五日、この日は金日成氏の生誕百五周年でした。また、四月二十五日は朝鮮人民軍創設八十五周年の節目に当たります。北朝鮮をめぐる緊張は予断を許さない状況であります。日本の多くの方が、朝鮮半島の高まる緊張について不安を抱いています。 こういう極度に緊張が増した状態においては、やはり首脳間に信頼関係があるかどうかが、状況分析や状況判断に大きな影響を与えるというふうに考えます。
もう本当に空爆を、寧辺という北朝鮮の核基地に対してアメリカが直接攻撃をするという、本当に攻撃指令を出す寸前に、当時北朝鮮に行っていたカーター元大統領が金日成と話をして、核を凍結するという話になって、この攻撃は行われないで済んだんです。
これは、金大中前の大統領が、北との関係がいいのはカーター大統領だということで、北から金日成からの招待状もカーター大統領に行っていたようなんですが、それでもう本当に空爆寸前に、カーター・金日成会談でもって核開発の凍結ということで一件落着しているわけです。
そうしないと中で権力闘争が起きると思いますけれども、権力闘争を防止するキャップとしてああいう金正恩という人は絶対に北朝鮮には必要、すなわち、金日成から金正日、今の金正恩と来るあれが必要だということだと思います。 それで、一体、金正恩が何を考えているかというようなことを考えるのは、私は、そういうふうには思っておりませんということをまず申し上げたい。